祖母と留学経験が後押し ジェロが演歌歌手を決意するまで
■デビューは亡くなったおばあちゃんからのプレゼント
そのころ歌っていたのは山川豊さんの「アメリカ橋」や新沼謙治さんの「津軽恋女」。NHKの「のど自慢」に出場して合格もしました。スカウトは大阪で開かれた大会で準優勝した時。今のレコード会社の人から「次にどこかの大会で歌う予定はありますか」という連絡があって、その大会で優勝できたんです。それから2年間ほど、大学で専攻していたコンピューターエンジニアの仕事などをしながら、ボーカルトレーニングを続けました。
実はデビューが決まる3カ月前におばあちゃんが亡くなりました。だから、デビューはおばあちゃんからのプレゼントだと思っています。
2年間、焦りはあったけど、学んだことも大きかった。それまでは独学で「うまく歌う」ことしか考えていませんでしたが、人の心に届く歌を歌うには、歌詞の意味を深く理解した上で気持ちを込めて歌うことだと知りました。だから、プロの歌は素晴らしいし、僕の心にも届いていたんだと分かったんです。
そのころの服装はヒップホップスタイルです。ただ歌うだけじゃなく、自分らしくステージに立って歌いたいっていう気持ちが強かったし、こういうルックスを見て、演歌に興味がなかった若い人が「ジェロなら聴いてみよう」と思ってくれれば、うれしいなと思ったんです。