親の七光りに葛藤した時期も…山本未來が語る「現在地」
実父は世界的なファッションデザイナーの山本寛斎。娘時代からファッションショーのバックステージを駆け回り、第一線の現場を見て育った。父の真似事のようにデッサンを書いたこともあったが、デザイナーの道に進む選択肢は「一切なかった」と話す。
「同じDNAを引き継いでいても、同じものを備えているとは限らない。父のように頭の中にデザインが浮かばないですし、思い浮かばないからといって教えてもらうものでもないですから。父も望んでなかったと思います」
後藤久美子や中山美穂といった同年代の女性がトレンディードラマで活躍する姿を見て、演技に興味が湧いた。3万6000人の応募者の中から選ばれ、映画「喜多郎の十五少女漂流記」(92年)で華々しくデビュー。ところが、その後は役に恵まれず、辛酸もなめた。転機は、映画「不夜城」(98年)のヒロイン役。過激な役どころで世間を驚かせた。
「多感な時期は親の七光みたいなものを意識して世間のイメージを打破したいという思いもありました。だからこそ“箱入り娘”だったらできないだろう役柄に挑戦したんです。『私はお嬢さんなんかじゃない』って(笑い)」