円丈師匠「新作に必要なのはプロの芸と素人の発想だ」
1989年、福家書店を退社した喬太郎は、銀座の<わんや>という料理屋で半年間働いた。学生時代に2年間アルバイトした店で、そこでは毎週土曜の夜、落語会を開いており、勤務中に落語が聴けた。
「前座、二つ目、真打ちと毎回3人の落語が聴けて、その間も時給が発生しますから、ありがたい職場です。落語協会の主立った真打ちはほとんど聴きましたね」
そして、師匠に選んだのは、当時まだ若手真打ちだった柳家さん喬である。
「当然ですが好きだったこと。新作落語をやるにしても、古典の基礎を身に付けなきゃいけない。それには古典がうまい師匠に弟子入りすべきと考えたこと。それと、大変生意気な言い方かもしれませんが、さん喬は間違いなく名人になる人だ。名人になっていく過程を弟子として見ていたいと思ったのです」
弟子入りが許されて、もらった前座名が柳家さん坊。寄席や師匠の会では古典を教わった通りにやっていたが、前座の勉強会と新作落語の旗手、三遊亭円丈が主宰する「応用落語の会」だけは新作落語を演じてもよかった。