円丈師匠「新作に必要なのはプロの芸と素人の発想だ」
「落研時代に身に付いた素人落語の垢がなかなか落ちなくて悩んでた時、円丈師匠が、『新作を演じるのに必要なのは、プロの芸と素人の発想だ』と言ったのを聞いて、素人的なものも必要なんだと心強く思ったものです」
新作を作って演じていたので、その分古典の持ちネタは少なかった。3年半の前座修業を終えて二つ目に昇進する際、芸名を喬太郎と改める。
「二つ目披露で30日間各寄席を回った時も、意識して古典と新作の割合を半々にしました。そのスタンスは今もあまり変わってません」
二つ目に昇進して間もなく、頭が割れるようなひどい頭痛に襲われた。息も絶え絶えに病院へ行くと、髄膜炎と診断された。
「その時、診察を終えた医師が、『よし。髄膜炎』と言ったんです。髄液に雑菌が入って脳に至ると、最悪の場合死に至る怖い病気なのに、『よし』って言うなよ、と心の中でツッコミましたね。幸い脳に入ることはなく、記憶障害もなくて助かりました」
1カ月間入院して完治。復帰した喬太郎は、何かが吹っ切れたように躍動し始めた。新作落語がバージョンアップしてさらに面白くなったのだ。 (つづく)
▽やなぎや・きょうたろう 1963年、東京生まれ。89年、柳家さん喬に入門。前座名は「さん坊」。93年、二つ目に昇進し「喬太郎」と改名。2000年、真打ち昇進。14年、落語協会理事に就任。