「百万本のバラ」は激動の時代に複雑な生い立ちを持つ曲
加藤登紀子の歌には外国曲のカバーが多い。なかでも最大のヒットとなったのが「百万本のバラ」だ。売れない画家と彼が憧れる女優のロマンスを描く、映画か小説のようにドラマチックな曲だ。原曲は旧ソ連のロシア語の曲で、実在するジョージア(旧グルジア)の画家ピロスマニがモデルだ。
「百万本のバラ」は複雑な生い立ちを持つ。もともとは1981年にラトビアで作られた「マーラが与えた人生」という曲だ。マーラはラトビア神話の女神のことで子守唄なのだという。原曲の歌詞には画家も女優もバラすらも出てこない。
翌年、この曲をソ連で人気があった女性歌手プガチョアが歌うことになり、ロシア語の歌詞が作られた。書いたのはボズネセンスキーという詩人で、彼は68年にソ連がチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を弾圧した際にソ連政府を批判したためジョージアに飛ばされた過去を持つ。その時期に画家ピロスマニのことを知ったので、彼を題材にして「百万本のバラ」を書いた。
加藤がこの曲を知ったのは、父の経営するロシアレストラン「スンガリー」に来ていたロシアと日本の混血の歌手からだった。加藤の父は日露協会学校(のちのハルビン学院)を卒業し満鉄に入社、ロシア人が多く住むハルビンに赴任した。だから彼女はハルビン生まれで、幼少期からロシア音楽が身近にあった。