堀江しのぶの死で涙は枯れ果て悲しみだけが残ったが…
「キャンペーンガールのビデオ、売り出しましょう。食い込んでるハイレグ、ぷりっとしたケツ。ナイスですね。売れますよ」
「どのキャンペーンガールがいいですか?」
野田が問うと、村西とおるはとんでもないことを言い出した。
「全社ですよ。全社。ブリヂストン、東レ、テイジン、ユニチカ、ダンロップ……」
雑誌好きの村西とおるは事務所のテーブルに積まれている週刊誌のグラビアを広げ、好き勝手なキャンペーンガールの企業名を羅列した。
1988年バブル真っ盛り、日本列島は後にバブルと呼ばれるカネまみれの渦にのみ込まれようとしていた。株や不動産バブルに押し上げられて企業は大儲けしていた。その余波で、各企業は宣伝費を天文学的に増額し、各企業独自のキャンペーンガールを年度ごとに売り出した。村西とおるはそのキャンペーンガールを何十人も集めたビデオをつくれ、と言い出した。
前代未聞の企画を命じられた野田義治に秘策はあるのか? (つづく)