夫婦デュオ「紙ふうせん」の2人が選んだ思い出の写真とは

公開日: 更新日:

日本で最後に行った大阪のコンサートのスリーショット

「赤い鳥」時代の「翼をください」「竹田の子守唄」、「冬が来る前に」で知られるデュオ、「紙ふうせん」。思い出の写真はこの2枚。

  ◇  ◇  ◇

 これはピーター・ポール&マリー(PPM)が日本で最後に行った2007年の大阪でのコンサートの際、ピーターと撮った写真です。「赤い鳥」を経て1974年に男女のデュオとして「紙ふうせん」を結成して活動を始め45年になりますが、僕らの音楽はPPMに強く影響されたものです。

 PPMとの出会いは高校生の時に知り合った米国の留学生から聞いて。英語の発音を教えてもらいながら、米国で大ヒットしているPPMの曲も聴くことができた。日本ではまだレコードが発売されていなくてね。恐らく日本人で初めてアルバムを聴いたのは僕たちじゃないかな。

 デビュー曲の「レモン・トゥリー」は寝ても覚めてもマネをして歌っていました。特に学校のトイレ掃除をしながら歌ったりすると、声がよく響いてね。日本には男女混声のコーラスがなかったから珍しかったし、興味深かったですね。

 大学に進学してもコピーバンドのようにいつもマネしていました。それが縁で69年にフォークグループ「赤い鳥」が結成されたくらいです。

 なぜこんな写真が撮れたのかというと、きっかけはファンレターを出したこと。アメリカから返事も来ました、NY5番街の住所から。クリスマスカードです。とってもうれしくて興奮した記憶があります。いろんな人に見せて自慢して回りましたね。

 70年代に来日した際には、リハーサルから見学させてもらった。僕らもデビューして何年か経っていたから、実現できたことです。高校生の時から憧れたPPMが目の前で歌っている! その感動や感激は今でも忘れられません。リハーサルで演奏の仕方からホールでの声の響きまでチェックして「赤い鳥」にすべて取り入れました。

 83年に僕らがサンタモニカでレコーディングをした際には、現地のコーディネーターがニューヨークにいるピーター・ヤーロウに連絡してくれて、電話越しに曲を歌ってもらったこともありました。「ジロー」というのも外国人には覚えてもらいやすかったようです。PPMは手が届かないような存在でしたが、彼らにとって僕らは一番身近な日本人だったのかもしれません。それが可能になったのは学生時代から強く願っていたからだと思います。心が通じたんでしょうね。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 2

    米挑戦表明の日本ハム上沢直之がやらかした「痛恨過ぎる悪手」…メジャースカウトが指摘

  3. 3

    陰で糸引く「黒幕」に佐々木朗希が壊される…育成段階でのメジャー挑戦が招く破滅的結末

  4. 4

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 5

    巨人「FA3人取り」の痛すぎる人的代償…小林誠司はプロテクト漏れ濃厚、秋広優人は当落線上か

  1. 6

    斎藤元彦氏がまさかの“出戻り”知事復帰…兵庫県職員は「さらなるモンスター化」に戦々恐々

  2. 7

    「結婚願望」語りは予防線?それとも…Snow Man目黒蓮ファンがざわつく「犬」と「1年後」

  3. 8

    石破首相「集合写真」欠席に続き会議でも非礼…スマホいじり、座ったまま他国首脳と挨拶…《相手もカチンとくるで》とSNS

  4. 9

    W杯本番で「背番号10」を着ける森保J戦士は誰?久保建英、堂安律、南野拓実らで競争激化必至

  5. 10

    家族も困惑…阪神ドラ1大山悠輔を襲った“金本血縁”騒動