夫婦デュオ「紙ふうせん」の2人が選んだ思い出の写真とは
日本で最後に行った大阪のコンサートのスリーショット
「赤い鳥」時代の「翼をください」「竹田の子守唄」、「冬が来る前に」で知られるデュオ、「紙ふうせん」。思い出の写真はこの2枚。
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これはピーター・ポール&マリー(PPM)が日本で最後に行った2007年の大阪でのコンサートの際、ピーターと撮った写真です。「赤い鳥」を経て1974年に男女のデュオとして「紙ふうせん」を結成して活動を始め45年になりますが、僕らの音楽はPPMに強く影響されたものです。
PPMとの出会いは高校生の時に知り合った米国の留学生から聞いて。英語の発音を教えてもらいながら、米国で大ヒットしているPPMの曲も聴くことができた。日本ではまだレコードが発売されていなくてね。恐らく日本人で初めてアルバムを聴いたのは僕たちじゃないかな。
デビュー曲の「レモン・トゥリー」は寝ても覚めてもマネをして歌っていました。特に学校のトイレ掃除をしながら歌ったりすると、声がよく響いてね。日本には男女混声のコーラスがなかったから珍しかったし、興味深かったですね。
大学に進学してもコピーバンドのようにいつもマネしていました。それが縁で69年にフォークグループ「赤い鳥」が結成されたくらいです。
なぜこんな写真が撮れたのかというと、きっかけはファンレターを出したこと。アメリカから返事も来ました、NY5番街の住所から。クリスマスカードです。とってもうれしくて興奮した記憶があります。いろんな人に見せて自慢して回りましたね。
70年代に来日した際には、リハーサルから見学させてもらった。僕らもデビューして何年か経っていたから、実現できたことです。高校生の時から憧れたPPMが目の前で歌っている! その感動や感激は今でも忘れられません。リハーサルで演奏の仕方からホールでの声の響きまでチェックして「赤い鳥」にすべて取り入れました。
83年に僕らがサンタモニカでレコーディングをした際には、現地のコーディネーターがニューヨークにいるピーター・ヤーロウに連絡してくれて、電話越しに曲を歌ってもらったこともありました。「ジロー」というのも外国人には覚えてもらいやすかったようです。PPMは手が届かないような存在でしたが、彼らにとって僕らは一番身近な日本人だったのかもしれません。それが可能になったのは学生時代から強く願っていたからだと思います。心が通じたんでしょうね。