又吉直樹もしびれる伝説芸人「たこ八郎」が醸し出す文学性
たこは小学生の頃、友達とどろんこ遊びの最中に泥が目に入ってしまう。そのまま治療せず放っておいた結果、左目の視力をほぼ失ってしまった。ボクシングではそのハンディを乗り越えるため、「ノーガード戦法」を編み出し、22歳で日本フライ級チャンピオンになった。
その戦い方から「あしたのジョー」のモデルになったともいわれているが、パンチドランカーにもなってしまった。その後遺症で、言語障害、健忘症、夜尿症に悩まされた。引退後は由利徹に弟子入りし、お笑い芸人デビュー。その突拍子のない言動から「放送禁止人間」と言われるようになり、「たこの存在そのものが放送コードに触れる」というような心ない投書が相次いだという。
たこはディレクターに「バカじゃないことを証明するために、ちょっと利口そうな部分を出してくれ」と言われ、「俺がテレビでやっていること演技だと思わない人もいるなんて」と嘆きつつ一計を案じた。
「巷に雨が降るごとく我が心にも涙が降る」
たこはベルレーヌの詩をすらすらと暗唱したのだ。投書がピタリとこなくなったという(TBS「R30」06年1月13日)。