志村けんさんの“サービス精神”女性に使った金額を尋ねたら
志村けんさんが亡くなられてしまった。もちろん大きな衝撃だ。コロナウイルスに怒りを覚える。それだけでなく、この感染症にかかると、家族であっても見舞いに行くこともできず、亡くなってしまうと顔さえ見ることができず、きちんとお別れすることもなく、遺骨として戻ってくるという現実を知った。志村さんの兄の知之さんも、そのつらさを取材陣に語っていた。
3月17日に体調不良で自宅で休んでいたが、20日に入院、その翌日には意識がなくなり、所属事務所は25日に感染を公表した。関係者によると、その時点でかなり厳しい状況だった。しかし、事務所も病院からの連絡を待つしかないというつらさ。改めてこのような悲しい状態であることを志村さんが広く教えてくれたと感じる。
ずいぶん前のことだが、志村さんの単独インタビューをしたことがある。約束の場所に早く行ってカメラや照明のセッティングを始めたところ、志村さんとマネジャーが姿を見せた。予定より早く、スタッフは大慌てになったが、志村さんは「あっ、ゆっくり準備してください」と言ってしばらくその場を外してくれた。時間に遅れないように、かつ邪魔をしないようにという気配りの人といった評判を垣間見た気がした。