TVのタモリやたけしは「文明」 生のマルセ太郎は「文化」
ヒロにとって、立川談志・志の輔師弟は大恩人だが、もうひとり恩人がいる。ヒロが得意の声色で紹介してくれた。
「こんにちは。永六輔です」
笑っちゃうほどよく似ている。
「永さんが僕のライブを見に来て、いきなり『明日、ラジオに出てくれる?』と言われました。それで永さんの番組、『土曜ワイド』に出たら、その後の公演が満員になったので驚きました。以来、ライブの直前には必ず番組に出してくれて、宣伝させてもらいました。僕が毎年春と秋、紀伊國屋ホールで定期公演ができるようになったのも永さんの口添えがあったおかげです」
永六輔は芸人の好みが偏ってはいたが、面倒見がよくて、世に出してもらった芸人は多い。ヒロの大先輩のボードビリアン、故マルセ太郎(写真)もそのひとりで、そのマルセをヒロは尊敬していた。そういえば、2人にはチャプリン崇拝者という共通点がある。
「マルセさんの十八番に『スクリーンのない映画館』というのがあって、映画一本をまるまる語るんです。『泥の河』『生きる』、チャプリンの『ライムライト』といった名作のストーリーを語りながら自分の感想を述べる。その手法を今、僕が取り入れてます。僕の場合、ドキュメンタリー映画が多いのですが、マルセさんへのオマージュなのは間違いない」
マルセのことは談志も高く評価していた。
「ええ。マルセさんのライブ会場に家元がふらっと寄って、自らマイクを持って紹介したらしいです。『テレビでタモリやたけしを見るのを文明と言います。マルセ太郎を生で見るのを文化と言います。皆さん、文化をお楽しみ下さい』って。最高の紹介ですよね」
ヒロのライブを見るのも文化だと私は思う。談志の思い出をもうひとつ。
「公演後の打ち上げに出てくれたことがあるんですが、帰る時、歩道まで出て見送りました。家元はしばらく歩いて突然振り返ると、ニコッと笑って手を振って、また歩き出した。チャプリンの歩き方を真似てです。うれしくて涙が出そうになりました」
2011年に談志が亡くなり、「お別れ会」でヒロは談志にほめられた「今日のニュースと天気予報」のパントマイムを演じた。何よりの供養であった。 (つづく)
(聞き手・吉川潮)
▽まつもと・ひろ 1952年、鹿児島県出身。鹿児島実業高校、法政大を卒業後、パントマイマーとなり全国を巡業。その後、コミックバンド「笑パーティー」を結成。85年「お笑いスター誕生!!」で優勝。88年、コント集団「ザ・ニュースペーパー」の結成に参加。ニュースに合わせて即興でパントマイムをつける「マイムニュース」や歴代総理大臣の物まねなどが持ちネタ。98年11月に独立し、ピン芸人になる。