我が新作「無頼」は公開延期で正月作品に…乞う、ご期待
皮肉にも朝鮮戦争特需のおかげで「もはや戦後ではない」と誰かが言い、人々が「理想」を求めた1956年。親と死に別れ、独り身で貧乏と汚辱にまみれて生きるしかなかった主人公の少年期から、映画は始まる。庶民が「力道山」見たさに街頭テレビに群がる駅前で、湘南の「太陽族」なんていうブルジョア青年の享楽を描いた「太陽の季節」の映画ポスターを脇目に、少年は5円のアイスキャンデーを売り歩き、屋根から剥がした銅板(アカ)も売って、今日を生きしのぐ。鯨の脂身の干物や魚肉ソーセージは少年にはごちそう。アメリカがビキニ環礁で水爆実験を繰り返し、日本の遠洋漁船が被ばくし、その風評被害で鮪が売れなくて作られたのが日本オリジナルのソーセージだ。我らもどれだけ食べたことか。オカズで親に文句を言えば最後、家の外に放り出された。何もない時は、ご飯に醤油をかけるだけでもうまかった。
60年の「安保反対」の頃も描いた。主人公らはまだ17歳の不良で、東京にデモに行く高校生を神社に誘い、弁当をカツアゲし、ついでに血液銀行に「血を売りに行こう。牛乳瓶1本500円だから半分やるぞ」と脅す。昭和はタフでないと生きられないが、思い返せばとても愉快な時代だ。友人は心温かく、大人どももおおらかでギスギスしてなかった。そんな夢と欲望の昭和を描いてます。乞う、ご期待。