司会は下北沢の安アパート暮らしの坂崎幸之助だった
1975年に下北沢ロフトがオープン。32歳にして都内に3軒のライブハウスを経営することになり、とにかく興奮の日々だった。全国の新進気鋭のバンドが、若さのほとばしる音源をとったカセットテープを送ってきた。「今日のバンドはどんな音を出すのだろう?」「西荻窪、荻窪、下北沢……今晩はどの店に顔を出そうかな?」。贅沢な悩みを抱えていた。あの頃、入れたてのコーヒーの湯気の向こうに<新しいロックの時代>が見えたような気がしていた――。
1979年9月1、2日に「第1回下北沢音楽祭」が行われた。
「音楽の街としてさらに飛躍しよう」と地元のロックバー「アダムス・アップル」、ロック居酒屋「ペーパー・ムーン」、ロック喫茶「独」、ジャズバー「レディ・ジェーン」にシモキタ・ロフトを加えた5店舗の共同開催として野外コンサートを計画した。本多劇場の建設予定地にスペースがある! ダメもとで頼んでみた。<ほぼ無償での貸し出し>を快諾していただいた。各店舗の若手たちを動員してステージを組んだ。メディアやレコード会社に金銭を含めた支援は頼まなかった。ターミナル駅近くで野外コンサート。入場料は2日通し券で2000円。すべてが画期的だった。