「タモリは無抵抗を貫きながらス~ッと無欲に生きてきた」
1972年に山下洋輔トリオに参加した坂田明さん(サックス)は、タモリさんがメジャーになる前から濃密な時間を過ごしてきた。久しぶりに会った坂田さんは「同じ1945年生まれ。2人とも地方出身者。アイツとは心の奥底でつながっている。奥底とは?それは<生き方そのもの>という意味がある」としみじみ語った。タモリ誕生秘話を生き証人に聞いた。
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「タモリの生き方に【流れに身を任す】というのがある。アイツには<芸人として身を立てよう>とか<努力して有名になってやろう>といった欲はない。何に相対しても<無抵抗>を貫いて<ただ好きなこと>をやり続けた。人気テレビ番組の<笑っていいとも!>を32年の長きにわたって続けたが、そこでも世間の流れにあらがわず、タモリ自身が<主導権を握ろう>とはせず、要所を突きながら面白おかしく生きてきた。もちろん若い頃は随分と悩んだとは思うけど、実に見事だね」
「タモリというのは、人のやった芸を<あっという間に覚えてしまう>ヤツなんだ。タモリはデタラメ外国語を駆使していたが、たとえば<ハナモゲラ語>というのは、実はオレが命名したものなんだ。でも、気付いたらタモリの持ち芸になっていた(笑い)。1973年、たまり場だった新宿・歌舞伎町のスナック<ジャックの豆の木>に山下(洋輔)さんが音頭を取り、まだ無名のタモリを福岡から呼んだ。小さなスナックでマイクもなかった。30人ほどの常連がギューギュー詰めだった。タモリは緊張もせず、ブラックな芸を思いっ切りやっていた」