著者のコラム一覧
平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

「タモリは無抵抗を貫きながらス~ッと無欲に生きてきた」

公開日: 更新日:

 1972年に山下洋輔トリオに参加した坂田明さん(サックス)は、タモリさんがメジャーになる前から濃密な時間を過ごしてきた。久しぶりに会った坂田さんは「同じ1945年生まれ。2人とも地方出身者。アイツとは心の奥底でつながっている。奥底とは?それは<生き方そのもの>という意味がある」としみじみ語った。タモリ誕生秘話を生き証人に聞いた。

  ◇  ◇  ◇

「タモリの生き方に【流れに身を任す】というのがある。アイツには<芸人として身を立てよう>とか<努力して有名になってやろう>といった欲はない。何に相対しても<無抵抗>を貫いて<ただ好きなこと>をやり続けた。人気テレビ番組の<笑っていいとも!>を32年の長きにわたって続けたが、そこでも世間の流れにあらがわず、タモリ自身が<主導権を握ろう>とはせず、要所を突きながら面白おかしく生きてきた。もちろん若い頃は随分と悩んだとは思うけど、実に見事だね」

「タモリというのは、人のやった芸を<あっという間に覚えてしまう>ヤツなんだ。タモリはデタラメ外国語を駆使していたが、たとえば<ハナモゲラ語>というのは、実はオレが命名したものなんだ。でも、気付いたらタモリの持ち芸になっていた(笑い)。1973年、たまり場だった新宿・歌舞伎町のスナック<ジャックの豆の木>に山下(洋輔)さんが音頭を取り、まだ無名のタモリを福岡から呼んだ。小さなスナックでマイクもなかった。30人ほどの常連がギューギュー詰めだった。タモリは緊張もせず、ブラックな芸を思いっ切りやっていた」

■関連キーワード

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    高嶋ちさ子「暗号資産広告塔」報道ではがれ始めた”セレブ2世タレント”のメッキ

  2. 2

    大友康平「HOUND DOG」45周年ライブで観客からヤジ! 同い年の仲良しサザン桑田佳祐と比較されがちなワケ

  3. 3

    佐々木朗希の足を引っ張りかねない捕手問題…正妻スミスにはメジャー「ワーストクラス」の数字ずらり

  4. 4

    大阪万博開幕まで2週間、パビリオン未完成で“見切り発車”へ…現場作業員が「絶対間に合わない」と断言

  5. 5

    マイナ保険証「期限切れ」迫る1580万件…不親切な「電子証明書5年更新」で資格無効多発の恐れ

  1. 6

    阪神・西勇輝いよいよ崖っぷち…ベテランの矜持すら見せられず大炎上に藤川監督は強権発動

  2. 7

    歌手・中孝介が銭湯で「やった」こと…不同意性行容疑で現行犯逮捕

  3. 8

    Mrs.GREEN APPLEのアイドル化が止まらない…熱愛報道と俳優業加速で新旧ファンが対立も

  4. 9

    「夢の超特急」計画の裏で住民困惑…愛知県春日井市で田んぼ・池・井戸が突然枯れた!

  5. 10

    早実初等部が慶応幼稚舎に太刀打ちできない「伝統」以外の決定的な差