韓流Web漫画文化が「梨泰院クラス」「神と共に」を生んだ
ここで歴史を見てみよう。1997年、香港の主権がイギリスから中国へ返還されると、アジア映画の中心だった香港映画は、中国政府の検閲を恐れて勢いを失っていく。韓国映画は、そのマーケットを奪う形で進出してきた。くしくも同97年にはアジア通貨危機が起こり、韓国経済は大打撃を受けた。そこで金大中新政権は、さらなる大胆な文化改革に打って出る。巨額の助成金を投じ、映画などコンテンツ輸出を国策として推進したのだ。こうして生まれたのが「シュリ」や「JSA」のような、00年代初期のヒット作といえる。
当時は日本経済もまだ強く、韓国が最初に目を付けたのも日本市場だった。彼らは日本人が好む作風を研究し、積極的に日本の原作も採用した。映画のキモはストーリーだが、このころの韓国には、まだまだ良い原作が不足していた事情もある。
例を挙げると「私の頭の中の消しゴム」は「Pure Soul~君が僕を忘れても~」(読売テレビ制作)のリメークだし、「カンナさん大成功です!」(06年)は鈴木由美子の漫画が原作。こちらは韓国でも動員600万人を超える大ヒットとなった。また、土屋ガロンの漫画の実写化「オールド・ボーイ」(03年)は、カンヌで見事グランプリを取った。日本文化を利用しながら、商業・芸術面ともにレベルを上げていったわけだ。