玉城デニー知事が招待しなくとも菅首相は沖縄に慰霊に行くべきだ
先日、6月23日は、昭和20年、日本軍が米軍によってほぼ壊滅し、沖縄戦が終わった日で、県が戦没者たちを哀悼して忘れないようにするために独自に定めた「慰霊の日」だった。なのに、コロナ感染を理由にしてスガ首相は(もしも行く気だったなら、五輪並みの安心安全対策とやらをして飛行機でひとっ飛びできただろうに)、ビデオ画面だけで県民たちに何の心もなさそうな挨拶で終わらせていた。ほんとに薄情で酷い政府だ。呆れかえるばかりだ。
6月23日は沖縄戦を指揮した第32軍司令官の牛島中将や参謀長らが自決したので、司令部が壊滅し、それで日本軍の戦いが終わったとされてる。とはいえ、司令部がなくなろうとそんなことを知るわけがない島民たちや日本兵らはまだ抗戦を続けるか逃げるか、自決をしようとしていたのだ。島の14歳から17歳以下の少年たちが駆り出されて編成された「鉄血勤皇隊」まで「日本軍の組織的戦闘の後は遊撃戦に出ろ」と命じられていたのだ。つまり、ゲリラとなって死に果てるまで戦えということだ。恐ろしいことだが事実だ。揚げ句、日本軍が配った手榴弾による島民の集団自決もスパイ容疑による虐殺まで起こっていた。県民のすべてが盾とされ、米軍が九州・鹿児島に攻めこんでくる本土決戦までの時間稼ぎで、捨て石になるのが“沖縄”の役目だった。