飯野矢住代誕生秘話<1>飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」で広がった業界人脈
シュールで刹那的な詩は、彼女の少女時代がいかなるものだったか、うかがい知れなくもないのだが、いずれにしても、山口洋子より早く作詞家デビューしていたことになる。
キャンティに出入りして、モデルとして活躍しながら作詞家になりおおせた彼女は、ひときわ目立つ存在だった。やはりキャンティの常連だったザ・タイガースの加橋かつみとの交際も報じられている。出会いはタイガースが「僕のマリー」でデビューした1967年2月ごろだという。
《彼とは友人の紹介で知り合ったの。ステージでは、いつもおしゃれなムードのかつみは、そのくせふたりきりになると、赤ちょうちんの下がったお店にわたしを連れて行き、湯豆腐なんかをご馳走してくれたりして、年のわりに大人びた雰囲気を持っている人だった》(「週刊ポスト」1971年6月11日号)
このまま、モデルと作詞活動を行えば、才色兼備の「作詞家・飯野矢住代」として歌謡界に君臨していた可能性は低くなかったのではないか。作詞家の安井かずみも“キャンティ人脈”の恩恵で大きなチャンスを掴み、揺るぎない存在になっていったのは事実である。想像は当たらずといえども遠からずだろう。