“スター選手”沢村忠は野口修社長の目を盗んで銀座の竜宮城へ
山口洋子が自身の愛称を店名にクラブ「姫」を銀座に開店したのが1959年。そこから、銀座7丁目、5丁目、8丁目、6丁目と転居を繰り返し、休業期間もありながら営業を再開させ、6丁目に戻って来たのが60年代後半のことである。
これまで文壇や政財界の重鎮がこよなく愛してきた銀座の高級クラブには「インテリの話が理解できないようではホステス失格」と、大卒の才媛や良家の未亡人ばかりが採用された。その日の株価と為替がいくらか知っておくのはホステスにとって必須で「これじゃ太刀打ちできない」と悟った新参の山口洋子は、若くてとびきり美しい女を片っ端から集めた。「株価も為替も知らなくていい。なんだったらバカでもいい。日経新聞なんて読む必要ない。話を合わせる必要もない。女が美しければ男の方から話を合わせてくるんだから」という経験に基づいた確固たる信念が洋子にはあった。
それもあって「姫」には「銀座はハードルが高い」と敬遠してきた高給取りのスポーツ選手、主にプロ野球選手がこぞって顔を出した。金田正一、野村克也、豊田泰光、張本勲……。