立川談志と柄本明に共通する、楽に生きられない狂気と愛
期せずして同じ日に2本のドキュメンタリーを見た。フジテレビの「ザ・ノンフィクション」。立川談志師匠が亡くなるまでの12年間を息子さんが記録した動画で構成された「切なくていじらしくてメチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~」、そして柄本明さんの「情熱大陸」だ。
どちらにも何か同じ匂いを感じたのは続けて見たせいだろうか。2人とも落語家、俳優、共に演者であるという共通点以外に「楽に生きない」というか「生きられない」人なんだなあ、と思ったのである。
我々凡人ならば、ある程度のキャリアに達すれば、後は楽に仕事を選んで楽に老いて淡々と暮らしていくのが普通であるが。どうもそれでは済まない。
強烈な現状否定。常に己と葛藤し、自己の美学を追求する。
談志師匠が晩年に夫婦喧嘩の末に1年も別居し、弟子も置かずに掃除もおぼつかない散らかった古マンションに独り暮らししていたとは知らなかった。
そこでも自らカメラを回し自撮りで語りかける執念。全裸でカップ麺をすすり、老いを嘆く姿は、まさに鬼気迫る。常に落語と格闘し、既存の落語を壊してきた。そこに「江戸の風が吹けば」それが落語だ、という境地。「枯れた落語」を軽蔑する自分が枯れていく恐怖。しかし先代文楽のように引退はせず、最後まで己の惨めさまでさらしてしまおうとあらがう。