五木ひろしの光と影<26>「ナベプロ帝国」支配者・渡辺晋はなぜ賞レースに消極的だったのか
巨大化した渡辺プロダクションだが、強みは何より「一枚岩」であること。渡辺晋も美佐も「ファミリー」を殊更に強調し、結束の固さは盤石に映った。しかし、レコード会社にとっては自社の専属歌手のセールスが第一で、つとに賞レースともなると、事務所の結束も「一枚岩」もさほども関係がなかった。「敵は同じナベプロの歌手」という事例が頻発するだけ厄介だったかもしれない。「森進一対布施明」「沢田研二対森進一」「布施明対小柳ルミ子」など、本人同士の思惑はともかくとして、同じ事務所の仲間が競争相手となるからだ。そこに担当マネジャー同士のライバル意識までが加わるのだから、話はややこしい。
ただし、有史以来こうした事例は思いのほか多い。ともに織田信長の家臣でありながら、何かと対立していた柴田勝家と羽柴秀吉、孫文門下生から国を割る大乱を引き起こした蒋介石と汪兆銘、名人円生一門から骨肉の争いを演じた三遊亭円楽と円丈、90年代に自民党を真っ二つに割った小沢一郎と橋本龍太郎。近親憎悪は世の常である。ライバルを蹴落とすためには手段を選ばない。おそらく、渡辺晋が賞レースに消極的だったのは“帝国”にひびが入りかねないことを危惧したからではなかったか。