「知床旅情」加藤登紀子が観光船遭難事故に悲痛の声…名曲誕生の背景に1959年の海難事故
名曲誕生の背景には、こんな秘話も。
「撮影の前年、天候急変によって漁船が羅臼沖で沈み、89人もの犠牲者が出る海難事故があったのです。その事故も、森繁さんが森繁プロダクションの第1作として、この映画をつくる大きな動機になったのだとか。実は映画には事故も織り込まれていて、森繁さん演じる老人は息子が事故の犠牲になり、泣き叫ぶシーンがあるのです」(チャッピー加藤氏)
エキストラとして、当地の人たち200人ほども出演。中には本当の遭難者の遺族も多数いて、撮影が終わっても泣き声がやまなかったという。長期ロケだったこともあって、撮影隊も地元の人もいつしか家族同然に。やがてロケが終わり羅臼町を発つ際、森繁は滞在していた旅館の前に張り紙し、ギターを片手に語りだした。張りだした紙には「知床旅情」の原曲となる「さらばラウスよ」という曲の歌詞。
「森繁さんは町民たちに口伝えで一節ずつ歌唱指導し、最後に大合唱して別れたそうです。曲は『オホーツクの舟歌』というタイトルで映画主題歌となり、62年の紅白でも披露。『知床旅情』として広まっていきました。加藤登紀子さんは学生運動のころ、のちに夫となる藤本敏夫さんとの初デートでこの曲を耳にします。別れの際に、藤本さんが歌ってくれたのだとか。めぐりめぐって、歌い継がれているんですね」(チャッピー加藤氏)
自然の雄大さと猛威の前に人間は無力である。