(3)落語家でなく昆虫学者になりたかった「セミの鳴き声の方が家の中よりうるさくない」
正蔵は子供の頃、落語家になろうと思っていたのだろうか。
「とんでもない。なるもんかと思ってました。昆虫学者になりたかったんです。セミの鳴き声の方が家の中よりうるさくない(笑)。虫かごを持って採集している時が幸せでした」
それがどうして落語家を志したのか。
「矢来町(古今亭志ん朝)を聴いちゃったんですね」
落語家は住んでいる所の名で呼ばれることがある。志ん朝は「矢来町」、三平は「根岸」である。
「中学2年の終わりの頃でした。当時の『落語特選会』(TBS系)は深夜の放送で、父の弟子の錦平兄さんが見たいと言うので付き合わされたんです。番組が始まったら、陰気なおじさんが2人で、落語の解説を始めた。榎本滋民先生と山本文郎アナだったんですが、当時は知りませんよ。それが終わったらCMです。ようやく始まって、矢来町が出てきた。
『あ、この人、うちに遊びに来てたおじさんだ。錦松梅の人だ』と。そのおじさんが『船徳』を始めたら、かっこいいんです。気が付いたら正座して見入ってました。終わった後、錦平兄さんに、『この師匠も落語家の息子さんなんだよ』と言われて、『そうなんだ……』と」