新沼謙治さんと“なべ焼き”の思い出「都会のうどん屋で『鍋焼き』頼んだら違う料理が出てきて…」
歌手デビュー50周年を来年に控えたベテラン歌手、新沼謙治さんのおふくろメシは、うす焼きともいわれるなべ焼き。岩手県ならではの小麦粉料理と多才な母親のエピソードを語る。
◇ ◇ ◇
うす焼きともいわれますけど、うちの実家ではなべ焼きと呼んでいたんです。昔はホットプレートみたいな鉄板はなくて、鍋で焼いていましたからね。
小麦粉を水で溶いてクレープみたいに薄く焼いた簡単なもの。家庭によっては卵や牛乳などを混ぜますが、母親のなべ焼きは砂糖だけ入れて甘くしたお菓子みたいなものでした。白い砂糖でも黒砂糖でもおいしいですよ。母親はちょっと厚くして、油を薄くひいた鍋で両面を焼く。厚みや形はピザみたいですかね。それを三角に切って食べさせてくれましたから、食べ方もピザと似てますね。
夕飯のご飯が残ったら、それも混ぜて作ってくれたこともあります。これだと、ご飯粒もお菓子のようにカリカリしておいしいんですよ。
僕は昭和30年代前半の生まれ。当時は食べ物がそんなになかったですし、うちは大家族でしたから小麦粉料理のなべ焼きはよく作ってました。
小麦粉といえば、醤油だんごもよく食べました。小麦粉を水で溶いたら丸く握っておだんごにして醤油と砂糖で味つけ、あとはとろみをつける。串には刺さないでお椀に入れて出してくれるんです。
岩手県には「とってなげ」という似たメニューもあります。「捕っては投げる」に由来した料理名。わかりやすくいうと形は「すいとん」なんです。
醤油だんごと同じく醤油と砂糖を混ぜたタレをつけ、すいとんのような形にしてお椀で食べる。固まってない醤油だんごみたいかな。食べ物が豊富ではなかった時代に、母親は家にある素材で工夫して作っていたんですよね。小麦粉料理はお馴染みでした。
中学時代、家のある大船渡から都会の盛岡に遊びに出かけた日のこと。盛岡に住む親戚のおじさんとうどん屋さんに入ったら「鍋焼き」とだけ書いてあった。
僕は「盛岡にもなべ焼き、あるんだ!」とうれしくなり注文したら、鍋焼きうどんが出てきて「そりゃそうだよな」と(笑)。小麦粉を焼いただけのなべ焼きがうどん屋にあるわけないですものね。