飯島直子は自分のアソコに水着の上からポラで割れ目を…
大勢の新人のひとりにすぎなかった飯島直子のブレークぶりを予感させる逸話である。
27歳独身だった日比野はもうひとつ、思い出がある。
「昼間撮影して、夜、ホテルの部屋に帰ったら、窓の下からワイワイ楽しそうな声がするんです。下をのぞいたら、飯島直子が“日比野さーん、泳ぎましょう”って」
キャンペーンガールや11PMのカバーガールを撮っていた1988年夏から秋にかけて、野田義治にとっては堀江しのぶの闘病から死につながるもっともつらい時期だった。
しかし、プロデューサーや監督を任され、寝る間も惜しみ働いたことで、悲しみを少しだけでも紛らわすことができた。
プロデュース料として毎月300万円現金で村西とおるから手渡され、経済的な窮状からも脱することができた。
バブルを体現したかのような村西とおる監督とその会社、パワースポーツであったが、実はこの時期、内情は火の車だった。 (あすにつづく)
▽のだ・よしはる 1946年、富山県生まれ。渡辺プロ系列のプロダクションで夏木マリ、いしだあゆみらのマネジャーを担当。80年にイエローキャブ設立。故・堀江しのぶ、かとうれいこ、細川ふみえ、山田まりや、佐藤江梨子、小池栄子、MEGUMIらを発掘し「巨乳軍団」の名物社長として知られる。04年に同社社長を辞任。現在はサンズエンタテインメント会長。