「あそこのミスコンはスポンサーの愛人にならないと…」
1988年夏。
野田義治は自らマネジメントするイエローキャブというプロダクションから、堀江しのぶを売り出した。
だがこれからというとき、スキルス性胃がんで堀江しのぶは23歳の若さで夭逝。闘病中の医療費、生活費をまかなったのは、野田がプロデューサーとして参加したパ…
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