集会のさなかに河上社会党前委員長が右翼青年に刺された
「昭和35年6月19日午前零時」は60年安保の抗議デモが敗北という形で決着がついた日であった。国会を数百万の人々が取り囲もうが、全国いたるところで抗議デモが起ころうが、それは新安保条約の自然承認の前のひと騒動となった。しかし重要なことはこのひと騒動が歴史の波という意思を持っていた…
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