タイでの指導者人生は「思いもよらなかった」スタートに
タイとの4年前の縁で白羽の矢が
「2019年の10月でした。サムットプラーカーンシティのオーナーが、日本人の指導者ということだけではなく、石井正忠個人に興味を持っているという話をいただきました。タイに出向き、ホーム最終戦を観戦して『こうすればチーム力アップに繋がると思います』と改善点など感じたことをレポートにまとめてオーナーに手渡しました。帰国してから『海外でチャレンジしたい』という気持ちもふつふつと沸き起こり、妻からは『海外と日本で離れて生活するのは寂しいから、まずはJリーグで仕事を探して欲しい』と反対もされましたが、12月半ばからタイで指導を始めることになりました」
タイは「履歴書に書いてある実績を非常に尊重してくれる」お国柄である。
アジアのビッグクラブである鹿島でタイトルを取り、CWCではクリスティアーノ・ロナウド擁するレアル・マドリードと接戦を演じた。
新指揮官として白羽の矢が立ったのも自然の流れだった。しかし、サムットプラーカーンシティで仕事を始めた石井監督は、4年前の<縁>が端緒となっていたことを知った。
■妻の反対で一度は話が流れるも…
「2017年に鹿島がタイ遠征に出掛けて2試合を戦ったのですが、現地で予定していた練習場のコンディションが悪く、別の練習場を探して偶然に使わせていただいたのが、まさにサムットプラーカーンシティのグラウンドだったのです。その時からオーナーは私のことを気にかけていただき、その後のキャリアに興味を持って追い掛けていたと言われました。感激しました」
新天地タイで指導者人生をリスタートさせるチャンスに巡り合った石井監督は、用意周到にタイ情報を集めて熟考した。
「実は、妻の反対が強かったので『家族あっての自分。妻の反対意見を尊重したい』とオーナーに伝え、一度は監督就任の話が流れてしまいました。しかし、自分自身はタイで働きたいという気持ちもあり、順天堂大の2学年先輩でタイ1部のチョンブリーなどで監督歴のある和田昌裕さん(G大阪や神戸でプレー。神戸、京都で監督を歴任)に連絡し、タイで働く際の心構えなどを教えていただきました。契約通りに物事が進まないこともあるなどアドバイスをいただきましたが、そういった部分でタイ全体に対してネガティブな感情を抱くのではなく、まずはタイの社会や文化、タイ人気質を素直に受け入れ、その上で自分の主張をしっかりと分かりやすく伝えていくことを心掛けるという気持ちを今も忘れず、ベストを尽くしています」
■コロナ禍でリーグ戦も大混乱
新型コロナが世界中で猛威をふるい、タイリーグは何度も中断を余儀なくされた。2021年は開幕が延期されて「春開幕ー秋閉幕シーズン制」が「秋ー春制」に変更されるなど混乱が続いた。
サラリーの未払いや遅配という事態もリーグ内で起こっていた。
「サムットプラーカーンシティのオーナーは、本当に頑張ってくれました。コロナ禍でチームの活動がゼロの時期であっても、年俸を30%までダウンさせたクラブも多い中、年俸の50%を保証してきちんと支払ってくれましたし、リーグが再開されている時期は100%支払ってくれました。本当に良くしていただきました」(つづく)
(取材・文=絹見誠司/日刊ゲンダイ)