「1年前に会った時はもう…」盟友が明かす周富徳さんの最期
「炎の料理人」と呼ばれた中華料理人、周富徳さんが今月8日に誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去していた。享年71。
たしかな腕前と軽妙な話術は、厨房を飛び出し、テレビでも大受け。「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京系)や「料理の鉄人」(フジテレビ系)などバラエティー番組でも引っ張りだこだった。
芸人顔負けのパフォーマンスで人気を博したが、2000年には社長を務める「富徳」など2社が、東京国税局から6000万円を追徴課税されたことも。ここ数年は体調を崩し、入院生活だったという。
「もう、さみしいよ~。僕がまだ20代で香港にいた時からの関係だからね。日本に来て一番お世話になった人だよ~」
悲しみにくれるのは金萬福さん(59)。金さんは香港の名店「鳳凰酒楼」「好彩酒楼」などで料理長を務め、88年に来日。周さんとは「浅ヤン」の“中華大戦争”で共演。カタコト日本語が懐かしい。
「最後に会ったのは1年くらい前。中華街で食事をしたけど、もう誰が誰だかもわからなくて……。食欲もないし、前から糖尿病だったから細くて痩せてて……。ショックだよ~。周さんとの思い出? お酒もいっぱい飲んだし、いい思い出ばっかり。料理? 僕は周さんの料理はほとんど食べたことないよ。なぜかというと、一緒のときは他の店に食べに行くから(笑い)。でも、周さんのサケチャーハンとエビマヨは絶品よ。あれこそが一流の料理人の証しだと、僕は思ってるよ」