「筆が速い僕に依頼が…」喜多條忠氏が語る名曲「神田川」秘話
でも、ラジオの台本と曲の歌詞とは書き方がまったく違います。
その日、こうせつと別れて、帰宅の途中でした。ある橋を渡る時に「神田川」のプレートを見つけたんです。その瞬間、学生時代の甘酸っぱい思い出がよみがえった。それをもとに思いついたフレーズを織り込み、チラシの裏に書いて、電話でこうせつに伝えました。当時、家庭用FAX機なんてありませんでした。
それが「神田川」。そして、アルバムが発売になり、こうせつがパーソナリティーをやってるラジオ番組で全曲流したら、「神田川」にリクエストのハガキが、それこそ山のように来ました。
ただね、あの曲はそれだけでヒットしたわけじゃないんです。契約していた日本クラウンは歌謡曲や演歌には強かったけど、フォークソングはまだ手掛け始めたばかりでね。シングルカットするか否かで、関係者は喧々囂々状態だった。ボクが、かぐや姫のメンバーじゃなかったしね。
そんな時、音楽ディレクターの馬渕玄三さんがたまたまモメていた編成会議にフラッと入ってこられて、「神田川」を聴いてこう断言されたんです。