六文銭の一人だった及川恒平さんは今もバンド活動継続中
1960年代末から70年代初頭にかけて活躍したフォークグループ「六文銭」。メンバーのひとりで、懐かしの「面影橋から」を作詞・作曲し、上條恒彦が歌って大ヒットした「出発の歌」を作詞したのが及川恒平さん(67)だ。今どうしているのか。
■月5、6本のライブ活動
「今は『六文銭’09』というバンドで活動してます。メンバーは小室等さんと娘のゆいさん、それとかつてメンバーだった四角佳子さん。あと、別のユニットでも歌ってるから、月に5、6本ライブをやってる感じですか。年始は東京での仕事が多く、普段は札幌に住んでるんですが、当分、東京暮らしが続きそうです」
新宿で会った及川さん、笑顔でこう言った。
66年に青山学院大に入学し、演劇研究部に在籍。その後、流山児祥らと「演劇団」を結成し、後に「六文銭」が歌って大ヒットする「面影橋から」は演劇団の芝居「大塩平八郎の乱」の劇中歌として作られたものだった。その一方、別役実作品を上演する目的でつくられた常田富士男主宰の「演劇企画集団66」に、別役の依頼で“覆面歌手”として出演して劇中歌を歌ったことがきっかけで、劇団に曲を提供していた小室等と知り合い、小室のバンド「六文銭」に加わるに至った。「出発の歌」が世界歌謡祭でグランプリを受賞して大ヒットしたのは71年。