気さくな人柄で氷室、米米、ブルーハーツら後輩に慕われた
80年代初頭にブレークしたRCサクセションは、社会的にロックの位置を確立し、他のロックバンドへ影響を与えるまでの存在となった。
デビューしたが、なかなか芽の出ない氷室京介(57)が、故郷の群馬県に帰ろうとしていた時期にRCのライブを見てもう一度やり直そうと決意。これが新バンド(後のBOO/WY)の結成につながったといわれている。氷室は「清志郎さんがいなければ、俺たち後続のボーカリストは目印を失っていた」と忌野のことを語っている。
フジロックフェスティバル(97年~)の10年以上前、全国で野外ライブが多数開催され始めた。RCはライブの王様と呼ばれ、トリを務めることが多かった。
「爆風スランプ、米米CLUB、バービーボーイズ、吉川晃司、ザ・ブルーハーツ、当時の若手バンドの彼らとは80年代の夏フェスでよく一緒でした。清志郎さんが一歩楽屋を出ると、彼らにすぐ囲まれる(笑い)。挨拶にやって来るんですが、そのままステージ裏の芝生かなんかに座って話し込むこともありましたね。今のような巨大化夏フェスではなく、のどかなものです」