志の輔さんが「みんな、客を呼ぼうよ」と怒ったんですけど
駒沢大学を卒業した徳永青年は田ノ下青年と漫才コンビを組んだが、息が合わずに解散。当時「お笑い芸人の登竜門」といわれていた「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ系)にひとりで出場する。
「それが落語家になるきっかけになったのです」
1980年当時の「お笑いスター誕生!!」という番組は勝ち抜き戦で、10週勝ち抜くとグランドチャンピオンになる。徳永良治(竹丸の本名)は5週勝ち抜き、銀賞を獲得したものの、6週目で落ちた。
「さあ、これからどうしようかと『お笑い――』のプロデューサーに相談したところ、『おまえは落語をやった時が一番生き生きしていた』と、落語家になるのを勧めてくれたんです。古典をやりたいなら春風亭柳朝師匠、新作をやりたいなら桂米丸師匠がいいと言われ考えました。自分はまだなまりが抜けてない。江戸弁の古典はとても無理だ。新作なら多少なまりがあっても平気かもと。それに米丸師匠は『お笑い――』の審査員だった縁もあります。そういうわけで米丸師匠を選びました」
1980年12月、米丸門下に入り、竹丸という芸名をもらう。入門の翌年、なんと「笑点」の若手大喜利のメンバーに選ばれた。