志の輔さんが「みんな、客を呼ぼうよ」と怒ったんですけど
「前座の分際なのに師匠が出演を許してくれたんです。月に1度放送されました。そのことで先輩や前座仲間からやっかまれて、いじめられました。当然ですけどね」
竹丸より1年半遅れて、東海大学落研の田ノ下雄二が春風亭柳昇に入門する。前座名、昇八。現在の昇太である。
「ということは、彼より先に『笑点』に出てたわけです。それなのにあいつは私より先に真打ちになって、大喜利のメンバーに選ばれて、今や司会者ですよ。出世が早いのなんの」
1985年、二つ目に昇進した竹丸は他の協会、団体の若手と勉強会を開く。メンバーは落語芸術協会の竹丸、落語協会の春風亭茶々丸(現いなせ家半七)、立川流の立川志の輔、五代目円楽一門の三遊亭かつお(現小円楽)の4人。会の名前は「なに、してんのうの会」。四天王をもじったものだ。
「毎回客が入らなくて、ある時はたった4人でした。楽屋には出演者4人と前座さんがいましたから、人数では5対4で勝ってました。志の輔さんが怒りましてねえ。『みんな、客を呼ぼうよ』って言ったんですけど、その日の客の3人は私の知り合いで、残りは茶々丸の後のおかみさんで、志の輔はひとりも呼んでなかったんですよ。それが今や、銀座能楽堂での1カ月公演が即完売になるんですから。『おめでとうございます』です」(つづく)