ヒロシさん<4>ホストから逃げる間に書いた「ヒロシです」
一度は芸人を諦めた。ホストの仕事は簡単に辞めさせてもらえず、週6日働きづめの生活から逃れるには東京を出るしかなかった。それが2003年ごろ。店が潰れたのを知ってから再び上京し、改めてお笑いの道に進んだ。
「バイトで生活費を稼ぎながら、フリーのピン芸人として月20本はライブに出ていました。ネタはホストから逃げていた間に書いていて、それが『ヒロシです』だったんです。もう東京には戻れないと思っていたので、発表する予定もなかったんですけどね」
ライブなど活動を見ていた大手芸能事務所「サンミュージックプロダクション」から声が掛かり、芸人として所属すると、日テレ系のバラエティー番組「エンタの神様」やテレ朝系の「笑いの金メダル」などに出演。04年には、「ヒロシです」で大ブレークする。
「テレビで売れていたときは最高月収が4000万円になりましたが、売れてから数カ月後に30万円の給与が振り込まれたときが本当にうれしかったです。初めて、ひと月生活できる金を稼いだという実感がありました」