マダム・レイさん明かす活動休止の理由と田尾氏との夫婦仲
「ロックを歌う」と言ったら夫の田尾さんは…
さて、レイさんは、佐賀県伊万里市生まれ。先祖は佐賀藩の御典医で、実家は病院を経営する名家だ。
「中日4年目だったパパと知り合ったのは長崎・活水女子短大2年の時。母が西鉄ライオンズ(現西武)の職員で、平和台球場のウグイス嬢もしていたため、プロ野球関係の方と食事をすることが多く、長崎で開催された試合後でした」
その後、とんとん拍子に交際が進み、卒業を前にした1979年12月16日、20歳で結婚した。
「3カ月後に卒業式を控えていましたが、そのシーズン、パパは少し不振だったので、実父は『今がいい』と。好成績の時に結婚して成績が落ち込むと、新妻が矢面に立たされかねません。球界事情を知る、親心だったんでしょうね」
新居は名古屋市内。田尾さんが試合や練習を終えて帰宅すると、マッサージするのが日課だった。
「野球選手は体が資本。食事はもちろん、体のメンテナンスも大事ですから」
その甲斐あって、田尾さんは80年から7回連続でオールスターゲームに選出され、81年から4年連続3割バッターとして活躍。当時、小学生だったイチローが卒業文集に「田尾選手みたいになりたい」と記したのは有名なエピソードだ。
ロック歌手に目覚めたのは高校時代。ディープ・パープルに憧れた。
結婚後は音楽から離れていたが、子育てが一段落した30代からステージに。98年にポップス系の「MY BOY」(徳間ジャパン)で歌手デビューするや、同曲は関西テレビのバラエティー番組「おもしろ旅美人」のテーマ曲に採用された。そして、06年にリリースしたアルバム「FUTAMATA」から、ヘビーメタル・ハードロックへ。
「思いの丈を込めてシャウトするロックは心が解放され、歌い切った後の快感もハンパないんです。でも最初、パパに『ロックを歌う』と言ったら、冗談半分で『離婚してからね』って(笑い)」
一方、01年から約1年半、テレビ朝日系のワイドショー「ワイド!スクランブル」の水曜日コメンテーターに。
「ちょうど野村沙知代さんと浅香光代さんの“ミッチー・サッチー騒動”の後半あたり。最初は3カ月だけって話だったんですけどね」
自宅は西宮市内の山手エリア。3人の子供たちは結婚して孫が3人。3歳の女児を持つ娘さん夫婦と同居している。
(取材・文=高鍬真之)