ちあきなおみの「喝采」はなぜ伝説の一曲となったのか
■歌声におびき寄せられた中村泰士が作曲
デビュー曲の「雨に――」に続いて、育ての親の鈴木淳が翌年書いたのが「四つのお願い」。これが大ヒットし、紅白歌合戦にも出場した。
そして、いよいよ昭和47年の「喝采」である。この曲は、鈴木淳の作品でなく、曲をつくったのは中村泰士。「四つのお願い」などでちあきなおみの魅力ある歌声に背筋をゾクゾクさせ、「ぜひ、ちあきなおみの曲を書かせてくれ」とコロムビア文芸部を訪ねてきたのだ。
中村は当時、佐川満男の「今は幸せかい」を作詞・作曲し、歌手から作曲家に転向していたが、まだ新進。しかし、中村の熱意にほだされて、コロムビアは願いを聞き入れた。吉田旺作詞の最初の曲「禁じられた恋の島」はヒットしなかったが、同じコンビによる「喝采」が一気に爆発した。発売からわずか3カ月で第14回レコード大賞を受賞。これは最短記録だった。
ちあきなおみのバイオリンのような歌声が、中村泰士を引き寄せ、見事当たったわけだが、大ヒットの秘密はもうひとつあった。