可能性のドア解放 氷川きよしは自分の性分をさらけ出す
「当時、“コロムビアレコード90周年記念アーティスト”、“北野武監督命名”という2つの冠があって。力を入れてもらいましたよね。“それにどう応えよう”“結果を出さないといけない”という気持ちは大きかったです」(主婦と生活社「週刊女性」19年2月19日号)
演歌界の将来を担う逸材として「演歌らしさ」や「男らしさ」を求められ、それに応え続けてきた。しかし、そのギャップに悩み続けていた。そんな時、湯川れい子に「あなたはあなたらしくやりなさい」と言われ、初めて自分が肯定できたという。
「みんなが求める『氷川きよし』に徹してきたけど、40歳を過ぎて、人としてもっと表現の幅を広げたいという気持ち。そもそも演歌というのは様式美、つまり、こうあるべきという型がある。日本独特の素晴らしい音楽だけれど、その中に収まらない『自分の性分』というものもあって」(新潮社「週刊新潮」19年12月19日号)
自分の“可能性のドア”を開放し、その性分をさらけ出し始めた氷川きよし。「フレディ・マーキュリーの苦悩や寂しさ……。求めても、努力しても手に入れられないものがある苦しさ。大スターゆえの孤独……。共感できたし、刺激を受けました」(中央公論新社「婦人公論」20年2月10日号)と、湯川れい子訳詞でQUEENの「ボヘミアン・ラプソディ」をカバーしたのも大きな話題となった。