<2>阿佐田少年は東京・市谷でB29の大空襲にあった
気になるのは、劣等生という言葉。市谷から通える範囲は、府立一中(現・日比谷高校)や市立一中(現・九段高校)をはじめ、有名校が多いが、彼が選んだのは生徒が定員に満たない新設中学だった。
この背後に、意外な事実が伏せられている。
説明しておきたいのは、旧制中学の入試が廃止になり、当時は校長名の内申書だけで進学が決まったこと。その内申書で6年生の阿佐田さんは「操行」が「丙」に評価された。学業が優秀でも、素行が悪くては有名校に行けない。
阿佐田哲也さんが没して31年。丙に評価されたことは、ほとんど知られていない。プライバシーに関することでもある。一方で、阿佐田哲也(色川武大)の文学を理解するための、重要なファクターではないか。
迷いながらだが、私が知る事実を記すことにした。もはや故人を傷つけることはなく、作品世界への理解を深めるのに資すると思う。
次回に具体的な内容を記すが、当時の少年たちは、五寸釘といわれる15センチぐらいの長い釘を研いで刃物を作った。これが事件を起こしたのである。