ネタで笑いを…夢路いとし・喜味こいし師匠は芸人のかがみ
「上方漫才の至宝」夢路いとし(写真右)・喜味こいし(同左)のおふたり。2003年に兄のいとし師匠が亡くなられるまで、60年以上にわたって上方漫才を牽引してこられました。私の構成するトーク番組、バラエティー番組にも何度となくご出演いただきました。
いとし・こいし師匠が大阪市の「指定無形文化財」に指定された1999年に関西テレビで記念番組を作ることになり、構成担当になった私は、打ち合わせでディレクターとともに楽屋をお訪ねした時のことです。“いと・こい漫才”はある時期を境にいとし師匠がツッコミからボケへ、こいし師匠がボケからツッコミへ交代しています。
このことがずっと気になっていた私は「途中でボケとツッコミを交代されていますが、何か理由があったのでしょうか?」と伺うと、いとし師匠がおもむろに「あきましてん」と一言。すぐに意味が理解できず「あきた……といいますと?」と聞き返す私に、「ずっとおんなじことばっかり言うてるからあきたんですわ」。「はぁ……」と驚く私に、かぶせてこいし師匠が「それも話し合いもなんにもおまへんねん。舞台袖で出番待ってる時に、いきなり『ボケとツッコミ逆にするぞ』だけ言うて、兄貴がサッサと舞台へ出て行きますねん。代わらなしゃあないがな」とぼやくこいし師匠。その顔を見ながら「やってみたらこっち(ボケ)の方がおもしろおましてん」と笑顔で答えるいとし師匠。ボケとツッコミを入れ替える、それも一度の稽古もせずに。にわかには信じられない、まさに“衝撃の告白”でした。