ネタで笑いを…夢路いとし・喜味こいし師匠は芸人のかがみ
どうしてこんな“無謀”なことができたのか? それは個性のぶつけ合いではなく、あくまでネタで笑いをとる漫才をされていたからだと思います。ある時、NGK(なんばグランド花月)の楽屋で新聞の取材に答えられていたオール巨人さんが「一番すごいと思われる漫才コンビは?」という問いに「やっぱりいとし・こいし師匠でしょう。阪神・巨人も、やすし・きよし師匠もそれぞれの個性・色で笑いをとりますけど、いとし・こいし師匠は色がない。無色で舞台に出て行かれて、気がついたらお客さんをいとし・こいしの色に引き込んではりますもん、これはできることじゃないです」とおっしゃっていたのを思い出しました。
この番組がご縁で、私にとって唯一の「いと・こい漫才」を書かせていただきました。2000年のミレニアムネタで、「2000年が来る、2000年が来る言うから、玄関からこんにちは言うてくんのかと思たら、なんにも言わんとやってきて、ひょっとしたら来年は3000年が来るんちゃうか?」「アホなことあるかえ」というやりとりから始まる台本に、「面白かったよ、サゲ(オチ)の言い回しだけちょっと変えさせてもらいましたんで……」と若造の私に丁寧に説明をしてくださいました。いつお会いしても腰が低く「僕らは、つこてもろて(仕事をもらって)なんぼやねんから、えらそうにしたらいかん」。文字通り“芸人のかがみ”のような師匠でした。