毒蝮三太夫さん ごちそうだったのは料理下手母の精進揚げ
毒蝮三太夫さん(俳優・タレント 84歳)
ジジイ、ババアの毒舌で知られる毒蝮三太夫さんがタイトルもズバリの「たぬきババアとゴリおやじ」を出版。母・ひささんと父・正寅さんの思い出をつづったまさに抱腹絶倒(!)の「昭和の物語」だ。毒蝮さんにとってのおふくろメシは……。
なにしろおふくろは料理が、からっ下手でね。覚えているのはカレーライス。カレーったって白い塊があるヤツ、ジャガイモは入っていたんじゃないの。ふくらし粉なんか入れて、料理といえないようなもんだよ。ただメシはうまかった。当時としては珍しく、圧力釜を使って炊いていてそれが自慢だった。近所の人がウチに来ると、「お宅のご飯はおいしいから、ごちそうしてください」なんて言ってたね。
それから鯛デンブとかつくだ煮、精進揚げもよく出たね。精進揚げはごちそうだった。揚げると隣近所に配ったり。精進揚げの匂いがすると「今日は(お裾分けが)来るから作らなくていいよ」なんていうような長屋だった。
精進揚げでは面白い話もあるよ。おやじが「この料理は甘えな」と言うと塩をふりかけ、「しょっぺえな」と言うと砂糖を入れるようなおふくろだから、揚げ物はたいてい中に芯があるの。おやじは「この芋の天ぷらには背骨がありやがる」なんて言ってたな。
雑煮も思い出すね。浅草の竜泉寺に住んでいた頃はよく餅をついたからね。中に入っているのは3品くらい。薄~いヤツでね。目ン玉が映るような。
よく覚えているのがコーリャン飯かな。戦争末期の6月から9月までおやじの実家があった横浜の汲沢に疎開してた。2キロ歩いて小学校まで通ったの。田舎だから白米が食えると思ったけど食えなくて、トウモロコシ、馬のえさのコーリャンを分けてくれて麦と炊いたのを弁当に詰めてくれた。家で食ってるおかゆみたいなものは詰められないから硬い飯を炊いて。学校で食っていると、コーリャンは赤いから「赤飯食ってる」と冷やかされてね。
テレビに出た時におふくろの料理を聞かれたことがあんの。俺が「コロッケ」って言ったら「お上手なんですか」と言うので、「店で買ってきたヤツ」って(笑い)。