トミーズは幼なじみからの主従関係で健が雅にツッコめない
トミーズの巻<上>
1982年のデビュー早々、各局の新人賞を総なめにしたトミーズ。順風満帆に見えた5年目、雅君が限界を感じ“これであかんかったら解散する”と1カ月に2本の新作漫才を5カ月間続ける「トミーズ十番勝負」という企画をやることになりました。
舞台は「なんば花月」。新喜劇が終演後、ネタを1本だけ上演するという異例の「特別興行」です。定かな記憶はありませんが、新喜劇から続けて見る入場券が200円、トミーズだけなら100円という、とても採算が取れるようなものではありません。よくあんなイベントを劇場がOKしてくれたものだと思います。
何人もの作家さんのひとりだと思い、「ぜひお願いします」と引き受けたところ、作家は私ひとり。予算もないので原稿料は2本で1本分。「大変なものを引き受けた」と思う半面、「これで収入が増える」とうれしく思ったものでした。
新作漫才といってもM―1などで定番の「4分」ではなく、1ネタ15分の劇場サイズですから、内容も筋の通ったテーマを立てて、そこに時事ネタを入れながらボケも数十個は入れ込むのでかなりしんどい作業です。3人で頭をひねってネタができるまで1週間。それを覚えてこなせるようになるまで1週間。5カ月間、ほぼ毎日がネタ作りと稽古で短い時で2時間、長い時には8時間を超えた日もありました。まだまだ新人だった2人が当時使えるお金は1日に1000円。ギリギリの生活の中で「もともとのギャラが安いんやから」と私のお茶代、食事代を2人で1円単位まで折半して支払ってくれました。