海原やすよともこは“最旬”漫才コンビ「さすが小浜師匠のお孫さん」と評判ですが…
女性コンビの枠を超えて、いま一番おもしろい漫才コンビといえるかもしれない「やすとも」でおなじみの海原やすよともこさん。おばあちゃんが女流漫才師として一時代を築かれた「海原お浜・小浜」の小浜師匠。お父さんは「海原かける・めぐる(現・池乃めだか)」のかけるさんという芸能一家で、子供の頃から姉妹で漫才をやっていたようです。
■中田ボタンに弟子入り
30年近く前(ウィキペディアによると1992年2月)、小浜師匠がNGK(なんばグランド花月)に2人のお孫さんを連れて来られ、中田ボタン師匠に「この子ら預かったってー。ボタンちゃんが一番きっちりしつけてくれると思うから頼みます」とボタン師匠の弟子になった時、私もたまたま楽屋にいたのでした。
屋号は師匠の「中田」ではなく「女流漫才師やから海原にしたらどうや? おばあちゃんと相談しておいで」ということで「海原」を名乗ることになったそうです。
初のテレビレギュラー番組「よしもと満載テレビ」(毎日放送)という深夜番組では構成を私が担当していました。「これまで一番きつかった仕事は?」とか「いま一番欲しいものはなんですか?」と楽屋にいらした芸人さんに突撃インタビューするという低予算の番組で、何代目かのアシスタントにコンビ結成間もない“やすとも”を起用しました。当時は緊張して口数も少なく、うまいツッコミができず(新人だから当たり前です)、彼女たちの記憶にはないかもしれませんが「あんまり(MCのまるむし商店)磯部さんの役にも立っていないですし、かえって迷惑をかけていると思うんですけどこのままやっていていいんでしょうか?」と、普通はいったん仕事をもらったら肩をたたかれるまで食らいつくのが当然のお笑いの世界で、まさかの“進退伺”をしてくるほど。自信がないというより、番組への気遣いだったように思います。いまのはつらつとした2人からは想像もできませんが、ディレクターと私で「初めはみんなそうやから気にせんと、どんどん(会話の中に)入っていったらええねん! 大丈夫やて!みんな身内で君らのこと大事に思たはるんやから」と慰留したことを覚えています。