「何十回練習するより高座で1度やったほうが身に付くものでして」
「ロサンゼルスに行ったのですが、日本人の若造がマジックショーに出たいと頼んでも相手にされません。そこで、マジックコンテストに出場したところ、マニプレーション部門で、実質1位になりました。ところが、アメリカ人を優先するという理不尽な理由で4位にされた。3位までの表彰台に日本人を上げたくなかったんでしょうね。でも、大会の関係者に勧められたオーディションに通って、ロスのクラブに出ることができました」
若さゆえの行動力か。さらなる挑戦が続く。
「昭和63年に、オランダで開催されたマジックのオリンピックといわれるマジックコンベンションに出場したんです。この大会には世界中の有名マジシャンが出場する。テレビで番組を持っている人、ラスベガスやパリの一流劇場のショーに出ている人、そんな連中ですから、登場しただけでスタンディングオベーションが起こる。僕が出るとシーンとして、完全に無視されました。もちろん実力が違うから入賞できなかったけど、世界的なマジシャンと同じ舞台に立てただけでも夢のようでした」
その後、伸はラスベガスへ渡る。 =つづく