中川家の兄・剛がパニック障害に「仕事がなくなってしまうのが怖くて言い出せなかった」
2人は大阪に住んでいたので、京都へはJRで40分もあれば行けるところを、剛君の様子を見ながら、一駅乗っては降りて、次の電車を待ち、また一駅乗っては降りて次の電車を待つということを繰り返し、その時の体調によって3時間から4時間かけて京都まで通っていました。普通ならこのまま消えてしまうのですが、地力のある中川家は礼二君が踏ん張って支えて窮地を乗り越え、その後も2人の内臓疾患など度々休養もありましたが、その事も笑いに昇華させて現在の不動の地位を築いてきました。
先週、剛君と話をする機会があり、この時のことを聞いてみましたが、「いつ呼吸困難になるかわからないんで、京都へ行くのに半日かけてました。1年間は『ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした』行脚でしたね。結局3年ぐらい(パニック障害の症状が)続いて、どうして治したんですかて、聞かれるんですけど、わからへんのですよ。気がついたらなんともなくなってたから」と笑っていましたが、私も20代に同じ経験をしているので、この気持ちがよくわかります。
「最初に言うてくれたらよかったのに」と言うと「自分らの代りはいくらでもいたんで、このまま仕事がなくなってしまうのが怖くてなかなか言い出せなかったんです」と苦しかった心境を話してくれました。大勢の前で演じることが仕事の芸人にとって一番つらい病気を克服してくれて本当に良かったと思います。
“関西人が2人寄ったら漫才になる”と言われるのを地でいく中川家。その場の空気で臨機応変に話を展開できる中川家の究極の「立ち話漫才」は、これからも大いに楽しませてくれるでしょう。