民間人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さん 原発事故の難を逃れ2度目の「仙人暮らし」
「今、室温は10度だね。なるべく環境に負荷をかけたくないから、これくらいなら暖房はしないんです」
こう言うと愛煙するショートピースに手を伸ばした。
「移住したのは17年12月。それまで6年ほど京都市の京都造形芸術大(現・京都芸術大)で教授をしていて、自宅は市内。18年3月の退職を機に自給自足に戻ったわけです」
“戻った”というのは、2度目だからだ。
「53歳だった95年にTBSを早期退職しましてね。都内から福島県滝根町(現・田村市)に移住してシイタケの原木栽培を中心に有機農業をやっていたんです。水田と畑で600坪、山を含めると約3000坪の土地を買いました」
ところが11年3月11日、東日本大震災で暗転した。福島第1原発からわずか32キロ。12日昼にラジオニュースで「空中からセシウム検出」と知り、住み慣れた第二の故郷から着のみ着のまま脱出した。その直後、原発は爆発……。
「首に下げた線量計がキュイキュイと警報音を鳴らす中、最初に福島・郡山市郊外の磐梯熱海へ。それから群馬県藤岡市で農家をやってる友人を頼りました。原発難民だね。で、夏ごろに京都造形芸術大から熱心に誘われ、授業を自由にやらせてくれる、と言うので引き受けることにしたのです」