眞子さんバッシングは皇室への「畏敬」「敬愛」が失われた証し
こんな考え方が広がったのも、平成の天皇と皇后が、「象徴天皇とは国民に寄り添うものだ」ということを実践されてきたことへの誤解があるのではないか。被災地などに駆け付け、被災者と目線を同じくして声をかけてこられた「国民に寄り添う」イメージが、いつしか「天皇は国民に従う」イメージに変わったのではないか。
眞子さんの結婚もそうである。内親王ともあろう人が、母親が借金しているのに返しておらず、そのうえ職もない男と結婚するなんて「皇室を冒涜するものだ」「許せない」「国民の声に従って小室圭との結婚はやめろ!」と大合唱が起こったのである。それでも婚約を破棄しない眞子さんに「ワガママだ!」という批判が向けられた。
もしこれが、見知らぬ町内の人から、あんたの選んだ男はロクでもないヤツだから結婚はやめろと言われたらどう思うだろうか。「放っといてくれ!」と言うだろう。ではなぜ眞子さんは批判されっぱなしなのか。「公人」だからである。しかし結婚は、憲法24条によって「当事者の合意のみに基づいて成立する」ことを約束していて「公人」を除外していない。それを、あんたが選んだ男はダメだから結婚するなというのは、人権を無視するのに等しい。誹謗中傷とは、中傷された人がその言葉で傷ついたと思えば、誹謗中傷なのだということを忘れるべきではない。