眞子さんバッシングは皇室への「畏敬」「敬愛」が失われた証し
批判されながらも、最後まで信念を貫いて結婚し、日本を脱出した「眞子さんの乱」。いったいあれは私たちにどんなメッセージを残したのだろうか。
11月30日に56歳の誕生日を迎えた秋篠宮さまが記者会見でこう述べた。 雑誌であれネットであれ、人を深く傷つけるような言葉は許容できるものではない。一定の基準を設けて、それを超えたら反論するといった基準づくりが必要ではないか──と。
批判に対して、これまでは反論しない姿勢を続けてきたが、今後は対応を変えるかもしれないということか。時代に即して考えれば当然のことだろう。
秋篠宮さまの言葉によれば「週刊誌を読んでみると、創作というか作り話が掲載されていることもある」という。ヘイトスピーチが悪くて、なぜこうしたバッシングが許されるのか。なぜ皇族は「事実ではない!」と反論しないのか。
ひとつには、国民の間で、皇族は税金で生活している「公人」という意識がある。つまり皇族は、「私」よりも常に「公」を優先すべきで、「私」については甘んじて批判を受けるべきだという認識だ。ある意味では皇族も同じ認識であったからこそ、これまで反論を避けてきたのではないだろうか。しかし、日本では税によって支えられている人はたくさんいるわけで、これがまかり通るなら生活保護者は私生活を暴かれてもこらえるしかないということにもなる。人権無視と紙一重だ。