加藤登紀子さん「ウクライナの人は生き抜いて」 満州で取り残され1年間、難民生活を経験
ロシアによるウクライナ侵略が長期化し、戦争の惨劇が日々報じられている。旧満州生まれで、ロシアと縁の深い歌手、加藤登紀子(78)がロシア人、ロシア文化について冷静かつ情熱的に語った。
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「みなさんもそうでしょうけど、生きるために頑張るということがこんなにつらいことなのかと思いますよね。コロナ禍の中、身内にもなかなか会えなくて“空の上から見てるよ”というのはこんな感覚なのかしらと、何だか死んだ後の練習をさせられているようで。この途方に暮れる寂しさを今年『声をあげて泣いていいですか』という曲で歌っていますが、コロナの後の戦争でまた打ちのめされました」
──ロシアとは縁が深い。
「私は旧満州のハルビンで生まれて、1歳8カ月で終戦を迎え、1年間日本に戻れず難民生活を経験しました。ハルビンは旧ロシアと地続きで“極東のパリ”と呼ばれる所でした。ここに流れてきたのは開拓のために流刑地・シベリアから連れられてきた人、文化弾圧で亡命した人、革命軍と戦ったコサック軍、赤軍と戦った白系ロシア人など、ウクライナ人も多かったといわれています。
父はハルビン学院の出身で、ロシアの文化を愛してやまなかった人でしたし、私がどこを故郷と思うかといえば、やっぱりハルビン。ユーラシアの放浪者として生まれたと感じています。そんなロシアのカルチャーの中心は、音楽も食も豊かなウクライナ。ハルビンはそんな文化の色濃い街でした」
──ウクライナの首都キーウ(キエフ)にも思い入れがある。
「ロシア料理のルーツも多くはウクライナです。父は京都にロシア料理店を開いた際に“キエフ”と名付けました。『キエフは日本で例えたら京都。京都のロシア料理店だから名前はキエフ』だと。日本人にとっての京都と同じように、キエフはロシアの原点でもあるのです。私は満州で取り残された経験のある引き揚げ者なだけに、ウクライナの人には何とか頑張って生き抜いてほしいという気持ちでいっぱいです」
──ロシアのウクライナ侵攻は終わりを見せません。
「街が破壊され、民間人が被害に遭っているのは、日本の第2次大戦末期の空襲とも重なります。空襲と表現するとやわらかく聞こえますが、これは『無差別爆撃』。いつの間にか民間人を巻き込んで東京大空襲では1日で10万人が亡くなったと聞いています。第2次大戦も、せめて半年でも早く終戦を決断していれば、空襲も原爆もなかったと思うと残念でなりません。今、アメリカや諸外国がウクライナに武器を渡していますが、アメリカとロシアの代理戦争になったら大変です。戦争は憎しみを増幅させ、勝っても負けても傷が深まるだけです」
「百万本のバラ」は人をつないでいく歌
──ロシアを語るうえで音楽は欠かせません。
「旧ロシア時代、芸術に対する弾圧が激しかった時代もありましたが、ロシアからは素晴らしい音楽家、芸術家が生まれています。あのチャイコフスキーもドストエフスキーもウクライナのコサック出身だそうです。音楽は彼らにとって生き抜く力。悲しみの深い歌も多いのですが、なぜあれほどの熱量が湧き起こるのかと思うほど心を揺さぶられます。
満州で旧ソ連の兵士たちから日本人が略奪された時も、山田洋次さんは戦車の上でロシア軍が大合唱していたのがあまりにすてきだったと語っていましたし、森繁久弥さんが自伝に書いていたのは、チェロ奏者の家に略奪兵が押し入ったとき、チェロを見て略奪兵が詫び、チェロを演奏してくれないかと頼み、その音に兵士が聴き入り、その後も交流が続いたというエピソードでした」
──そんなロシアで愛された「百万本のバラ」のロングバージョンを今回コンサートで披露します。
「私が弾き語りで『百万本のバラ』を歌ったのが85年、ペレストロイカでソ連が開放政策に転換、新しい歴史が始まるというとき。劇的にヒットしました。今はEUの参加国になったバルト海沿岸のラトビア語で作られた子守歌が原曲でした。“人は平等に生まれてくるけれど、神様は同じように幸せを運んでくることを忘れた”という悲しいメッセージが込められた歌でした。その子守歌がジョージアの貧しい画家、ピロスマニをモデルにしたロシア語の『百万本のバラ』になった、そんな背景をつづったロングバージョンを今、コンサートで歌っています。
86年にはキーウでコンサートも予定していたのですが、チェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故が起こり、実現できなかった。けれど、その後キーウに住んでいる人たちとの交流も続いています。『百万本のバラ』は分断の時代の中で、人をつないでいく力のあるすごい歌だったのだと思います。音楽は大変な時にこそ必要なもの。私も歌手として、こんな時代だからこそ歌っていこうと、今ウクライナ支援のためのCDを製作しています。収益をそのまま支援金に、長く支援を続けていきたい。そして早く平和が戻ることを願ってやみません」
(聞き手=岩渕景子/日刊ゲンダイ)
■加藤登紀子コンサート「時を超えるもの」
5月22日、秦野市文化会館(神奈川)/6月5日、東ソーアリーナ(山形)/18日、Bunkamuraオーチャードホール(渋谷)/8月20日、新歌舞伎座(大阪・天王寺)
(問)トキコ・プランニング(℡03・3352・3875)