息子であることの定年を迎えた…父の他界と55歳の誕生日に思ったこと
年が明け、昨日1月4日、55歳になった。
55歳。昭和のサラリーマンとその家族にとっては、今なお特別な意味を持つ年齢ではないか。当時日本の多くの企業の定年は55歳だった。大げさにいうなら、55歳は「新米おじいさんの誕生」を意味した。
転勤族のサラリーマンを父に持つ筆者もそう信じてきたひとり。小学校に上がるころから、父はひとり息子のぼくに「俺が定年退職するときお前はハタチ。運が良けりゃ定年後も嘱託や再就職で給料は出る。でも当てにはできない。大学を卒業するころ、父さんは無職かもしれん。だからハタチまでにはしっかりと人生の進路を決めるように」とよく話して聞かせた。ぼくが学生ライターとして初めて原稿料を手にしたのは、まさに20歳のときだった。それは「ハタチまでには人生の進路を」のつよい呪縛の産物だったのではと、今になって思うことがある。
昭和61(1986)年の高年齢者雇用安定法改正で60歳定年の努力義務化が図られ、父やぼくの心配は杞憂となった。もっとも、学業は二の次で音楽関係の仕事にのめり込んだぼくは、26歳で大学を卒業するころは日銭稼ぎに奔走する羽目になっていたから、息子に堅実な人生を望んだ父の思惑とも懸念ともかけ離れてしまったのだが。2025年4月からはすべての企業で希望者に対する65歳定年制が義務化されると聞く。時代の流れを感じずにはいられない。