不毛な世代間闘争、「世代」という名のカメラでは解像度が低すぎる
焼け跡、団塊、バブル、ゆとり……元号のある国ニッポンでさえ「世代」は細分化され、大きな意味を持つが、アメリカでは世代論がきわめて盛んで弊害も多いようだ。なぜそう言うかといえば、昨年末刊行の社会学的エッセイを読み、世代間論争の不毛さをしみじみ痛感したから。
2021年7月、米国女性シンガーH.E.R.の新曲“Change”の日本語訳をネットで見つけた。すばらしくシャープで読み惚れた。何気なく自分のツイッターで紹介したところ、すぐに訳者からお礼のメッセージがDM(ダイレクトメッセージ)で届いた。何とアメリカで生まれ育ち、現在もアメリカ在住の日系アメリカ人というからぼくは驚いた。それが誰あろう、先に述べたエッセイ『世界と私のA to Z』の著者・竹田ダニエルである。
竹田さんは1997年生まれ。自身をミレニアルとZの中間の「ジレニアル世代」と位置づける(実際にそういう表現があるそう)。本業は理系研究職ながらも、米国カルチャーを主領域とするライター、また音楽エージェントとしても活躍中だ。文芸誌「群像」の連載をまとめた初著書『A to Z』で、竹田さんはZ世代が特別視される理由を「多様な人種と思想と価値観の人が社会に存在するという事実を、インターネットによって幼い頃から実感している世代だから」と断言。Z世代は生年で区切られるものではなく「価値観で形成される選択可能なもの」と提唱する。